大阪ラヴジュース計画

1996年 HEAVY FUNK SYSTEMの前身となるパーティ「大阪ラヴジュース計画」をスタート。当時はあまり無かったDJとバンドが対等な関係で、イベントを企画するというスタイル。あくまでクラブスタイルの中でバンドにも参加、協力を求め「バンドの演奏中のMCの禁止」「DJからバンド、バンドからDJへの交代の時も音を止めない」など今に繋がる試みがあった。ゲストも一晩中楽しみ続けて欲しいという気持ちから、これも当時見なかったクラブ内でのオリジナルフードの販売も開始した。 ゲストに満足してもらうには素晴らしい出演者のブッキングは勿論、スタッフや出演者のゲストに対するマナー、空き時間は接客するなどを徹底、気持ちよく楽しんで帰ってもらえるようにという事を一番に考え、実践していました。最大で400名を超える動員を記録したこのパーティも、敬愛するロジャー・トラウトマンの追悼イベントをもって発展を目的に最後にいたしました。

HEAVY FUNK SYSTEM

もっと純粋にファンクが聴けるパーティがしたいという気持ちからIZUIとPINCHが1998年、HEAVY FUNK SYSTEMをスタートする。
最初はDJが2人だけの小さなバーでのパーティだったが、バンドの参加、ゲストDJの参加、ダンスユニットの参加、フードの提供と次第に発展していく。

1998年HEAVY FUNK SYSTMスタート。
1999年JB'sの来日公演でオープニングDJを務める。このイベントがきっかけで以後オーサカ=モノレールがパーティで毎回ライブをすることになる。
2000年小林径氏をゲストDJに迎える。
2001年理想とするファンクイベントの方向性が決まる。
2002年UKのレアグルーヴ・マスター、ノーマン・ジェイ氏をゲストDJに迎える。
再び小林径氏、神戸のノーザン・ソウルのパーティ「ヌードレストラン」からキタアキ氏をゲストDJに迎える。
2003年大阪以外で初となる仙台、広島での開催が実現する。
RHYMESTERのDJ JIN氏をゲストDJに迎える。
2005年DEEPFUNKのケブ・ダージ氏をゲストDJに迎える。
かねてからの夢であった「入場無料」を決行。さすが大阪、過去最高の動員を記録。
東京DEEPFUNKのパーティSEARCHINGの黒田氏をゲストDJに迎える
2006年UKのバンド、ニューマスター・サウンズを迎える。
伝説のFUNK DIVA、マーヴァ・ホイットニーを迎える。
2008年再び、RHYMESTERのDJ JIN氏をゲストDJに迎える。
2017年12月24日を以ってイベントHEAVY FUNK SYSTEMを終了。
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