PINCH

HEAVY FUNK SYSTEM 主宰

1988年頃活動を開始。
1996年に「大阪ラブジュース計画」に参加。当時すでに7インチでファンクをプレイするというスタイルを完成させていた。また、ジャズ~ソウルからヒップホップまで全てのブラックミュージックに精通していて、最近は7インチを中心にUK風でもヒップホップでもない独自の解釈なファンクミュージックをプレイしている。若いヒップホップ、ブレイクビーツテクノ層の支持者も多く 数多くのジャンルでゲストプレイを行う。
映画「コフィー」のパンフレットにロイ・エアーズのディスコ・グラフィーの執筆等も手掛ける。オーサカ=モノレールの2ndアルバムのレコーディングにサウンド・アドバイザーとして全面協力した。
HEAVY FUNK SYSTEMの看板DJである。

IZUI

HEAVY FUNK SYSTEM 主宰

1996年「大阪ラヴジュース計画」のスタートとともにDJとしての活動を開始。パーティの企画からフライヤーの制作・サイトの制作、ミックステープのインデックスやノベルティのデザインなども手掛け、完全なインディペンデントを目指す。オーサカ=モノレールのステージ衣装のデザイン・制作も手掛けた。
DJを始める以前から音楽はファンクしか聴かず、特にアフロ・ブルース・ニューオーリンズなどを好んでプレイする。ファンク以外は全く興味なし。
私とDJ PINCHで、ごく身内で個人的楽しみのためにリアルな黒人音楽だけをプレイするパーティをやろうというのがこのイベントをはじめたきっかけです。レゲエのサウンド・システムのようにその音楽に最も適した音響設備で、一番気持ちいい状態で素晴らしい黒人音楽を聴かせたいというのが理想です。

HAZEL

1996年「大阪ラヴジュース計画」のスタートとともにDJとしての活動を開始。某黒人音楽専門の中古レコード店のオーナーであり、ファンク・ギタリストでもある。伝説のP-FUNK系バンドでの上半身裸にインディアンの羽飾りというスタイルでのギタープレイ、パーティでのフード関連の仕切りなど、お祭り部門での最重要人物である。青魂亭の店主も務める。
もちろん黒人音楽には精通しており、80’sファンクをプレイさせれば右に出るものはいない

YOSHIDA

メンバーの中でただ一人、ダブ・レゲエ・スカ・ロックステディに精通。60年代~70年代にかけてのシングルのコレクションは膨大である。ほとんど情報のないこのジャンルですが、その知識の豊富さは凄いです。でもレコードは知識じゃなく匂いとかで探してるみたいです。勿論ファンクもがんがんプレイします。
ヘビファンが地方などに遠征する時のツアー・リーダー。青魂亭を支えているのも彼です。

AFRICAN STATION

VISUAL PERFORMANCE

黒人音楽のパーティでまともにプレイできるVJがいないという状況から2002年に結成。従来のVJとは違いDJ的な感覚での「ネタ勝負」なわかりやすく、おもしろいものを提案するスタイルはHEAVY FUNK SYSTEM直系である。DJやパーティと完全に一体となったものを目指している。
VJだけではなく、パーティの映像・音源の記録やその素材を加工した作品の制作、VJへの再利用など、パーティ当日だけではなく完全にHEAVY FUNK SYSTEMとシンクロした活動をしている

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